今福龍太「言葉以前の哲学」戸井田道三論

地唄舞は、回る動作が頻繁に出てくる。座敷をすり足で回る。お扇子は円を描くように回しなさいと、師匠からよく言われたものだ。「戸井田氏は、貝を独楽のように回す呪術があって、それが子供の遊びに変化したものがベイゴマではなかったか、と考える。すなわちここで彼は、ぐるぐるまわるものへの人間におよぼす特殊な心的効果をみようとしている。そう考えれば、風車も、座敷でぐるぐるまわって目を回す子供の遊戯も、カゴメカゴメも、フィギュアスケートのスピンも、能の緩やかにまわる舞も、歌舞伎の回り舞台というような構造も、すべて一種の酩酊状態をつくりだすことによって非日常的な聖なるなにものかとの連続性を回復しようとする原初的な身振りと関連していたことが解ってくる。沖縄の聖地の巻貝も、山伏のホラ貝も、琉球から出土する人骨がしばしばゴホーラという巻貝を切った腕輪をしていることも、すべて人間が巻貝をことさら重要視していたことのあらわれであるとすれば、それは必ずどこかで、人間がぐるぐるまわるものの精神におよぼす特殊な作用をしっかり認知していた事実と重なりあっているのだ。」地唄舞はまわる、まわすという動作を重要なものとして捉え、大切にしている側面を鑑みれば、戸井田氏のこの指摘を意識せざるを得ないのである。そして、大きく頷いてしまうのである。まわすという動作が、精神的なものに作用するならば、どこか祈りともとれる呪術的要素を含むならば、地唄舞は、他の踊りとはやはり異にしていると確信するのである。舞うことで穏やかな気持ちになる、心が落ち着く。そうでしたか。この本は、その答えを教えてくれた。