カテゴリ:『大地と神々の共生』鈴木正崇編



06日 3月 2023
最近、また、犬を飼い始めた。わたしは、犬が大好きである。自然体だ。そんな愛犬をドックトレーナーに預ける。人間が飼いやすいよう躾をするためである。つまり、人間社会に犬の行動を適合させるということだ。このような人間の視点から物の捉え方、発想は、人間を取り巻く環境に対しても当てはまることかもしれない。この物の見方のベクトルは、果たして、本当の意味で、いわゆる人間がいう自然環境を考えることになるのだろうか。自然環境という言い方そのものが、そもそも人間がその上に立ち、つまり、その環境を人間が支配下に置いているという態度であるが故の発想ではないか。たとえば、「自然への働きかけという方向性を逆転して、自然の多様な声に耳を傾けること、語りかけてくる自然という立場から物をみる」人間と自然を同じ環境の中に置き、矢印の向きを変えてみる。「共生の原点はそこにあるのではないか」その視点こそが大切ではなかろうか。「内なる自然に目覚め、自然の危機は自らの人間性の危機と考えることが重要である。語りかける自然を通じて、自己の身体と世界が同じものから紡ぎだされていることを自覚し、自らのほころびは宇宙や世界のほころびとみる。」う~ん。無邪気にワンワン吠える犬をみながら、利己主義な私を省みる。そんなことを考えた。