郡司正勝『おどりの美学』

わたしは、この書籍が好きで、分かる部分だけを分かった気になって、楽しんでいる。「舞踊は舞踊のためのもので、まして踊手の表現をみるためでもその魂を知るためでもない」なかなか、厳しい言葉です。「舞踊家は一個の伝導体でしかない。舞踊家がその作品でなにかを見せようとすれば、機械はパッタリと止まってしまう。舞踊としての生命への動きを止めてしまうのである。作品は表現ではあるが、表現は流れ去ってしまうべきものである。表現に止まっているうちには舞踊ではあり得ない。」「振は、簡単なほどいいとは、中村富十郎が残した『娘道成寺』の振が当時単純すぎるといわれたときに答えた言葉である。『娘道成寺』が名曲として今日までその生命を保ってきたのは、むしろその技術の単純さに踊の難しさが保たれてきたからだといえよう」この言葉は、舞、そして、人の生き方にも通ずるよう思う。舞の基本である足の運び方は、単純であるのにもかかわらず、非常に難しい。そして、心穏やかに、日々、平凡な毎日を、楽しく過ごすことが大切であるとあらためて思う。