本日、弟子が主催する熱海ウィーン少年合唱団の公演に参加いたしました。多くの方との出会いがございました。この地唄舞を通して、この芸が、国籍を問わず、いろいろな国の方とお知り合いになる機会をもたらしてくれます。そして、年齢を重ねれば重ねるほど、凝り固まる枠を取り除いて下さいます。プログラムにございましたシューベルトからフォーレと。個人的に、フォーレのレクイエムが大好きです。わたくしも、以前は唄っていました。やはりレクイエム。美しきレクイエムの歌声に酔いしれます。そして、この感動をかみしめ、芸事、地唄舞を続けていて、良かったなと思う次第でございます。心より感謝いたします。熱海という美しき自然の中で、その恩恵にあずかりました。

19日 5月 2024
御縁いただきまして、2024年5月18日世田谷区後援のキューズガーデンのイベントに参加させていただきました。今回は7名参加。緑の芝が美しく、風と光を感じる空間で舞うことができました。今回は連舞がメインでしたので、ちょっと、いつもと違う感じでしたね。再来月には、こちら、キューズガーデン内にございます蒼梧記念館(第一生命創始者旧矢野氏邸)の和室をお借りしまして浴衣会をひらきます。


20024年初舞の会でございます。 日時:2024年1月8日㈪13時スタート 場所:JR中央線総武線の阿佐ヶ谷駅より徒歩3分程にございます『神明宮』能楽殿 後半、大脇弘子は「京の四季」→「桐の雨」でございます。 どうぞ、防寒対策ばっちりでお越しくださいませ。

12日 12月 2023
わたしは、この書籍が好きで、分かる部分だけを分かった気になって、楽しんでいる。「舞踊は舞踊のためのもので、まして踊手の表現をみるためでもその魂を知るためでもない」なかなか、厳しい言葉です。「舞踊家は一個の伝導体でしかない。舞踊家がその作品でなにかを見せようとすれば、機械はパッタリと止まってしまう。舞踊としての生命への動きを止めてしまうのである。作品は表現ではあるが、表現は流れ去ってしまうべきものである。表現に止まっているうちには舞踊ではあり得ない。」「振は、簡単なほどいいとは、中村富十郎が残した『娘道成寺』の振が当時単純すぎるといわれたときに答えた言葉である。『娘道成寺』が名曲として今日までその生命を保ってきたのは、むしろその技術の単純さに踊の難しさが保たれてきたからだといえよう」この言葉は、舞、そして、人の生き方にも通ずるよう思う。舞の基本である足の運び方は、単純であるのにもかかわらず、非常に難しい。そして、心穏やかに、日々、平凡な毎日を、楽しく過ごすことが大切であるとあらためて思う。

28日 11月 2023
2023年11月18日(土) 厳島神社にて、花崎会による奉納舞がございました。月が美しい、幻想的な夜でした。叶和門下は、総勢7名参加。みなさま、ご自分の舞が出来たようでございます。

27日 8月 2023
2006年4月から6ヵ月もの間、箱根ラリック美術館で、日本独自の金唐紙を背景にルネ・ラリックの作品が飾られたそうです。現在、この金唐紙は「旧岩崎邸」の壁面を飾っています。金唐紙はヨーロッパで生産されたギルトレザーをルーツとしているとのこと。17世紀半ばにオランダ東インド会社を通じてもたらされた革製の壁面装飾は、日本で和紙を素材とした金唐紙として製造されるようになり、その後、パリやウイーンでの万国博覧会などで高い評価を得て大量に輸出され、ヨーロッパ王朝貴族の城や宮殿にも広く使用されたそうです。ルネ・ラリックの作品の中にある文様は、明らかに、中国から伝来した日本の文様から影響を受けたであろう作品が多くある。壁面、香水瓶と、その所在は多様なれど、そこに佇む文様は、その場所で輝き、舞い踊り続けております。

地唄舞は、回る動作が頻繁に出てくる。座敷をすり足で回る。お扇子は円を描くように回しなさいと、師匠からよく言われたものだ。「戸井田氏は、貝を独楽のように回す呪術があって、それが子供の遊びに変化したものがベイゴマではなかったか、と考える。すなわちここで彼は、ぐるぐるまわるものへの人間におよぼす特殊な心的効果をみようとしている。そう考えれば、風車も、座敷でぐるぐるまわって目を回す子供の遊戯も、カゴメカゴメも、フィギュアスケートのスピンも、能の緩やかにまわる舞も、歌舞伎の回り舞台というような構造も、すべて一種の酩酊状態をつくりだすことによって非日常的な聖なるなにものかとの連続性を回復しようとする原初的な身振りと関連していたことが解ってくる。沖縄の聖地の巻貝も、山伏のホラ貝も、琉球から出土する人骨がしばしばゴホーラという巻貝を切った腕輪をしていることも、すべて人間が巻貝をことさら重要視していたことのあらわれであるとすれば、それは必ずどこかで、人間がぐるぐるまわるものの精神におよぼす特殊な作用をしっかり認知していた事実と重なりあっているのだ。」地唄舞はまわる、まわすという動作を重要なものとして捉え、大切にしている側面を鑑みれば、戸井田氏のこの指摘を意識せざるを得ないのである。そして、大きく頷いてしまうのである。まわすという動作が、精神的なものに作用するならば、どこか祈りともとれる呪術的要素を含むならば、地唄舞は、他の踊りとはやはり異にしていると確信するのである。舞うことで穏やかな気持ちになる、心が落ち着く。そうでしたか。この本は、その答えを教えてくれた。

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