06日 3月 2023
最近、また、犬を飼い始めた。わたしは、犬が大好きである。自然体だ。そんな愛犬をドックトレーナーに預ける。人間が飼いやすいよう躾をするためである。つまり、人間社会に犬の行動を適合させるということだ。このような人間の視点から物の捉え方、発想は、人間を取り巻く環境に対しても当てはまることかもしれない。この物の見方のベクトルは、果たして、本当の意味で、いわゆる人間がいう自然環境を考えることになるのだろうか。自然環境という言い方そのものが、そもそも人間がその上に立ち、つまり、その環境を人間が支配下に置いているという態度であるが故の発想ではないか。たとえば、「自然への働きかけという方向性を逆転して、自然の多様な声に耳を傾けること、語りかけてくる自然という立場から物をみる」人間と自然を同じ環境の中に置き、矢印の向きを変えてみる。「共生の原点はそこにあるのではないか」その視点こそが大切ではなかろうか。「内なる自然に目覚め、自然の危機は自らの人間性の危機と考えることが重要である。語りかける自然を通じて、自己の身体と世界が同じものから紡ぎだされていることを自覚し、自らのほころびは宇宙や世界のほころびとみる。」う~ん。無邪気にワンワン吠える犬をみながら、利己主義な私を省みる。そんなことを考えた。

結婚に対する考え方、形は、今の時代、多様である。紙一枚の単なる民法上の契約にすぎない。成田悠輔氏の夫婦形態も珍しくはない。そう。この結婚観や形は、昔とは大きく変化している。とはいうものの、この澁澤龍彦氏と澁澤龍子夫人(以下、敬称省略)との結婚は、女という観点から、わたしには、羨ましく感じるのである。なぜなら、わたしが考える『幸せな女性像』というものが、澁澤龍子と同じだからだ。その澁澤龍子が描く女性像、それが、澁澤龍彦が描くそれと一致する。そして、それをそのまま龍子が生涯かけて演じ、全うする。そして、澁澤龍子は、それを言い放つ。なんとも、女の強さを感じるのである。『愛』が深まれば、『強さ』が増すというプラスの美しい相関関係があるようだ。

能の舞台は、もともと屋外に作られており、現在のように舞台と観客席が大きな一つの建物の中に入った「能楽堂」という形になったのは明治以降のことだそうです。それにしても、この屋外で舞うというのは、非常に、気持ちがよいものです。雲の動き、風、光、鳥の鳴き声を感じながら、舞の動きがそこに溶けこんでいきます。日常のストレスがゼロ。人間も自然の一部なんですね…。

2023年1月8日㈰ 12時より 『神明宮』能楽殿 at 阿佐ヶ谷st. 阿佐ヶ谷駅から徒歩2分にございます神明宮にて、初舞の会をいたします。外の能舞台でございます。ご覧くださいます方は、くれぐれも防寒にてお願い申し上げます。 久しぶりに『高砂』を舞わせていただきます。...

27日 11月 2022
2022年11月26日㈯  於:足利市料亭『相洲楼』 花崎叶和門下数名により、舞の勉強会、忘年会を開きました。場所は、都会の喧騒離れ、足利市。歴史の重みを感じる料亭『相洲楼』。そして、こちらの畳間。足を踏み入れないと、伝わらない、この感覚。表層のみ、こちらの映像で。『本物』を感じながら、その中に、身を置き、舞わせていただきました。...

16日 10月 2022
  しなやかなカバーにまとわれた書籍『古典の効能』(著)寺田真理子、ある御縁でわたしの手元にきた。  初めの章は、清少納言を取り上げている。清少納言は、教養の高さを鼻にかけた嫌みな女というイメージがある。その一方で、実は、喜び上手な人であるそうだ。...

国立劇場評論『愚痴』 · 09日 9月 2022
お褒めのお言葉に、嬉しい云々ではございません。やはり、責任感の安堵でございます。資本主義を生きてきた私には、やはり、このように感じます。人のお時間とお金を頂戴いたしました。半蔵門までご足労いただきまして、心より感謝申し上げます。

01日 8月 2022
2022年7月31日(日) 於:六瓢庵 新名取3名(由季乃、澄親、伽奈女)のお披露目会にゲスト出演させていただきました。3名の仲睦まじい関係をみて、大変勉強になりました。 和空間の静寂に写真が映し出され、そして、三絃の音が響き始めます。そして、舞手は足を運びます。 幻想的でした。 (尚、8/1~7日に予定しておりました写真展は中止でございます)

27日 5月 2022
母の黒留袖をなおしました。半年くらいかかり、ようやく出来上がりました。金糸などの刺繡糸も経年劣化とのことで、一つ一つ細かく手作業してくださいまして、しかも、身丈、裄などを全て直し、マンションでいうなれば、大規模修繕でございます。修繕積立金全て使い果たしました。ですので、せっかくでございますから、五反田にございます岡崎写真館の伊興田先生に、ガラス乾板による撮影をお願いいたしました。いくら技術は進化しても、人間の魂は、変化いたしません。そんな簡単には、人間という生きものの真髄はかわらないのです。母が他界し、1年以上経ちました。父は、私が20歳代のときに亡くなりましたので、おおよそ、30年以上、私たちは、いまいるこの地球、その中にあります日本という土地で過ごしてまいりました。どこまで歩いても、飛行機に乗っても、目にかかることができない母の姿。しかしながら、その魂が、この写真に写りました。わたしは、もう少しだけ、がんばります。

斎藤幸平氏『人新世の資本論』久しぶりに、心穏やかに、そして、自分の本来あるべきを、立ち止まって考えさせてくれる経済書?をみた。このままでよいのか?このまま経済の成長を追求すべきなのか?その先に私たちの幸せはあるのか?経済の成長は、果たして、人間の成長を促すのか?経済の成長は、この先も、人間を幸せにしていくのか?そもそも、人間の幸せって何か? そのようなことを、考えてきた。このコロナになってから、ずうっと考えていることだった。 この本と出会い、そして、山口周氏の本と出会う。お金には換算できない価値を、わたしは、もう一度、考え直してみたい。そして、幼少のころに、五感で感じたその感覚をもう一度、取り戻したいと、そんなふうに、思った。

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